鹿児島の地方新聞にて
ボクの記憶がある限り昔から続いているコーナーがあります。
『あなたの運勢』
というコーナー。
ばぁちゃんがよく口に出して
ボクに読み聞かせしていたので、
まぁボクも目を通すクセがついています。
ちなみに本日2010年9月6日(月)仏滅の
一月生まれの『あなたの運勢』
「少しずる賢い。本音と建前の使い分けうまい」
・・・
運勢じゃなくね?
評価、とかじゃね?
しかもあぁし評価とかされたくないし。
2010/09/06: あなたの運勢
カテゴリー: 日記 | Posted by: Takashi Honji | コメントしてね
2010/09/05: ORA 東京さ行くだ
前回やったのは…
と思わず考え込んでしまうほどではございますが、
ライブやります
東京で
渋谷で
2010年10月10日(日)
詳細は・・・
まだですがATOMIC CAFEという
長年やっているイベントにて。
やるのは二つ
知る人ぞ知る(って知らん人は知らん、当然のことだわさ)
わがままジェンキンス
と
知る人ぞ知る(って知らんひ・・・)
Cells Connection in ヤマカッチ
家族で上陸
娘発東京
ナウなヤングに大変身1歳児
細かいこと分かりましたらまたお知らせいたしもうす
バイナラ
ラナイバ
PS
気になっている人はなっていると思いますが、
プリティコタニ出てきませんよね
彼ね、
もう言っちゃおうね
今大阪なのでございます
1年ほど
と思わず考え込んでしまうほどではございますが、
ライブやります
東京で
渋谷で
2010年10月10日(日)
詳細は・・・
まだですがATOMIC CAFEという
長年やっているイベントにて。
やるのは二つ
知る人ぞ知る(って知らん人は知らん、当然のことだわさ)
わがままジェンキンス
と
知る人ぞ知る(って知らんひ・・・)
Cells Connection in ヤマカッチ
家族で上陸
娘発東京
ナウなヤングに大変身1歳児
細かいこと分かりましたらまたお知らせいたしもうす
バイナラ
ラナイバ
PS
気になっている人はなっていると思いますが、
プリティコタニ出てきませんよね
彼ね、
もう言っちゃおうね
今大阪なのでございます
1年ほど
カテゴリー: 告知 | Posted by: Takashi Honji | 2 コメンツ
2010/08/10: 1Q84 Book3~レビューでないレビュー~
以前も書いたかもしれないけれど、
主に「読書」という文化は
東京等の都会に住む人々ために成立したものだと思う。
彼ら(田舎住まいの自分の対称として)は
生活圏内を移動する際主に電車を利用する。
その移動は余暇で無い限り
基本的に一人で行われることが多く(見知らぬ人は人数に入れない)、
そのため一人で過ごす時間が一日のうち平均値として
平日で約2時間程度あると思われる。(計測したわけではないです、予想)
その時間の使い方として、
睡眠
ゲーム
読書
などが主なものとして挙げられる。
これは都会、田舎双方の暮らしを経験した人じゃないと
なかなか分かってもらえないと思う。
また、ボクが読書を都会の文化と捉える理由のもう一つに
その内容がある。
ただこれは読書に限らず、ドラマや映画もそうなのだが、
その物語の中には東京近郊が主に登場する。
そうじゃない物語も勿論多くある。
でもどちらかといえば東京近郊が登場する比率の方が高い。
ほとんどレビューにもなっていないが、
今回読み終えた「1Q84 Book3」も例外ではない。
専用HPのこちらのマップをご覧いただければお分かりいただけるだろう。
⇒【1Q84マップ】
高円寺から246号線に向かうルート、
ボクはさんざんそのあたりをバイクで走ったから
現実の世界に基づき想像することができる。
でもその場所を知らない方々は
一体どのような感覚のもとにそれを読み進めるのだろう。
それは例えばボクがアフリカの小説を読んで、
ケニアの路上で交わされる恋愛模様の一部を辿るような
そんな感覚なのだろうか。
ちなみにボクは東京に出る前、
渋谷はある意味浮いているのだと思っていた。
「浮いている」をそのまま捉えられると語弊があるのだけど、
まぁなんというか「独立して存在」しているような感覚だ。
そんな町もどんな町も住めばリアルになり、
日常という名の安らぎや憤りを感じさせる時間が
元いた場所と同じくやってくる。
Book3を読みながら
ボクはそんなことばかり考えていた。
青豆と天吾の繋がりを
他の多くの読者同様素敵なものと感じたが、
何かこうしっくり来ない固まりが
胸の中から最後まで消えなかった。
「そんなに人は簡単なもの?」
村上小説を読み続けてきて
感じたことのない思いがそこにはあった。
きっとボクは
「風の歌を聴け」に対する思いが強すぎるのだろうと思う。
なにはともあれ、
「はなきんデータランド」でノルウェイの森がベストセラーとして紹介されるのを
ポケッと見ていたのが1991年。
あれから20年もの月日が経とうとしているのに、
エンターテイメントの世界の中で成功し続ける彼、
いや彼の作品はやはりモンスターだと思う。
人を導き、壊し、再生する、
そんなモンスター。
○○追伸○○
1Q84を小学生に紹介しているような記事が地方誌に出ていたのだけれど、
何を考えているんだ、と思ってしまいました。
主に「読書」という文化は
東京等の都会に住む人々ために成立したものだと思う。
彼ら(田舎住まいの自分の対称として)は
生活圏内を移動する際主に電車を利用する。
その移動は余暇で無い限り
基本的に一人で行われることが多く(見知らぬ人は人数に入れない)、
そのため一人で過ごす時間が一日のうち平均値として
平日で約2時間程度あると思われる。(計測したわけではないです、予想)
その時間の使い方として、
睡眠
ゲーム
読書
などが主なものとして挙げられる。
これは都会、田舎双方の暮らしを経験した人じゃないと
なかなか分かってもらえないと思う。
また、ボクが読書を都会の文化と捉える理由のもう一つに
その内容がある。
ただこれは読書に限らず、ドラマや映画もそうなのだが、
その物語の中には東京近郊が主に登場する。
そうじゃない物語も勿論多くある。
でもどちらかといえば東京近郊が登場する比率の方が高い。
ほとんどレビューにもなっていないが、
今回読み終えた「1Q84 Book3」も例外ではない。
専用HPのこちらのマップをご覧いただければお分かりいただけるだろう。
⇒【1Q84マップ】
高円寺から246号線に向かうルート、
ボクはさんざんそのあたりをバイクで走ったから
現実の世界に基づき想像することができる。
でもその場所を知らない方々は
一体どのような感覚のもとにそれを読み進めるのだろう。
それは例えばボクがアフリカの小説を読んで、
ケニアの路上で交わされる恋愛模様の一部を辿るような
そんな感覚なのだろうか。
ちなみにボクは東京に出る前、
渋谷はある意味浮いているのだと思っていた。
「浮いている」をそのまま捉えられると語弊があるのだけど、
まぁなんというか「独立して存在」しているような感覚だ。
そんな町もどんな町も住めばリアルになり、
日常という名の安らぎや憤りを感じさせる時間が
元いた場所と同じくやってくる。
Book3を読みながら
ボクはそんなことばかり考えていた。
青豆と天吾の繋がりを
他の多くの読者同様素敵なものと感じたが、
何かこうしっくり来ない固まりが
胸の中から最後まで消えなかった。
「そんなに人は簡単なもの?」
村上小説を読み続けてきて
感じたことのない思いがそこにはあった。
きっとボクは
「風の歌を聴け」に対する思いが強すぎるのだろうと思う。
なにはともあれ、
「はなきんデータランド」でノルウェイの森がベストセラーとして紹介されるのを
ポケッと見ていたのが1991年。
あれから20年もの月日が経とうとしているのに、
エンターテイメントの世界の中で成功し続ける彼、
いや彼の作品はやはりモンスターだと思う。
人を導き、壊し、再生する、
そんなモンスター。
○○追伸○○
1Q84を小学生に紹介しているような記事が地方誌に出ていたのだけれど、
何を考えているんだ、と思ってしまいました。
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2010/07/17: 夏が来ました

長い梅雨だったすねぇ。
庭に植えた向日葵は
叩きつける雨にやられてしいましたが、
それでも時は少しずつ流れて、
目に映る青が心地良い夏が来ました。
そして我が子が生まれてもうすぐ一年。
帰郷から約2年。
今日はブルーベリーを摘みにいきます。
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2010/07/08: キツネが鳴いてサザエの壺焼き
ヘッドフォンステレオ、
まぁつまるところのウォークマンで
音楽を聴いている女の子に勘吉は尋ねる。
「おい、何を聴いているんだ?」
「えっ?キョンキョンとサザンだけど」
「何?キツネが鳴いてサザエの壺焼き?」
かの有名ご長寿漫画
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」におけるワンシーン。
まぁ今のキッズたちに
「キョンキョンとサザン」と言ってもあまりピンと来ないことから分かるように、
結構、かなり昔々のお話であります。
しかしながらその当時は
「キョンキョンとサザン」という、
要はナウなヤングなら誰でも知っている単語に対し、
「キツネが鳴いてサザエの壺焼き」と切り返す両津氏の
親父度合いを示したというギャグなのでございます。
かくゆうボクだって、
小中学生の頃、流行りの言葉を知らない大人たちを
心のどこかで小馬鹿にしていたものですが、
まぁ必然と言えば必然、
オジ様の仲間入りをしたボクは、
最近のナウなヤングの文化はさっぱりでございます。
しょうがありませんね、
たのきんトリオギリギリ世代ですし。
スケ番刑事なんてガッツリ世代ですし。
とはいえ別にそれを嘆いているわけではなく、
往々にして人が通る道
というものを感じながら、
それを綴ってみているなう。
れっつぼんばいえ。
まぁつまるところのウォークマンで
音楽を聴いている女の子に勘吉は尋ねる。
「おい、何を聴いているんだ?」
「えっ?キョンキョンとサザンだけど」
「何?キツネが鳴いてサザエの壺焼き?」
かの有名ご長寿漫画
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」におけるワンシーン。
まぁ今のキッズたちに
「キョンキョンとサザン」と言ってもあまりピンと来ないことから分かるように、
結構、かなり昔々のお話であります。
しかしながらその当時は
「キョンキョンとサザン」という、
要はナウなヤングなら誰でも知っている単語に対し、
「キツネが鳴いてサザエの壺焼き」と切り返す両津氏の
親父度合いを示したというギャグなのでございます。
かくゆうボクだって、
小中学生の頃、流行りの言葉を知らない大人たちを
心のどこかで小馬鹿にしていたものですが、
まぁ必然と言えば必然、
オジ様の仲間入りをしたボクは、
最近のナウなヤングの文化はさっぱりでございます。
しょうがありませんね、
たのきんトリオギリギリ世代ですし。
スケ番刑事なんてガッツリ世代ですし。
とはいえ別にそれを嘆いているわけではなく、
往々にして人が通る道
というものを感じながら、
それを綴ってみているなう。
れっつぼんばいえ。
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2010/07/05: を
先日、知り合いの夫婦が喧嘩をした。
夫婦喧嘩というものは他人にとってみれば
「何だそりゃ」というくらい下らないものであっても
当の本人たちにとっては極めて深刻な問題となる。
何が下らなくて何が下らなくないか
そんなものは人それぞれの考え方一つだし
裁判などで決められる問題でも無い。
そう考えると世の中全て
ある意味「下らないこと」から始まっていると言える。
エニウェイ、
その知り合いの夫婦が何をもって喧嘩をしたかというと、
「を」
についてだ。
ここで考えてみてほしい。
あなたは「を」を何と読むか?
つまり
「Wo」と読むか「O」と読むかということ。
それ以外の読み方をする方は
とりあえず三つ目の候補となるわけだが
今のところボクの頭では考え付かない。
その夫婦のうち、
妻は「を」を「Wo」と言った。
夫は「を」を「O」と言った。
ボクは「Wo」派なのだが、
まぁ言われてみれば「O」と読むこともある。
ボクが「Wo」派なのはきっと
幼稚園だか小学生のころ
何か「五十音の歌」みたいのがあって
「わ・を・ん~」という箇所における「を」を
そのように歌ったからだろうと推測する。
おそらくその歌の作詞者は
「お」と「を」を区別するためにそうしたのだろう。
そんなわけでボクは疑うことなく「Wo」だったのだが、
その夫婦の話を聞くうちに「O」なのかもしれない
とも思った。
その妻の方はかなり友人に聞きまくって
それでも答えがでなかったらしいのだが、
ある日子供が学校において先生から
「を」の読みは「O」である
と習ったことから仕方なく「O」に落ち着いてしまった
とのことだった。
ボクは先生の意見だろうが文献だろうが、
しょせん人の作ったもの的考え方を持つへそ曲がりなので
そうそう納得はしない。
真実なんてものは
その時代に生きる誰も知らないことだってあり得るのだ。
後世になって気づく、
そんなことが多いことはあなたもご存じだろう。
だから「自分にとっての真実」がいかに価値を持つかが分かる、
って、おっとっと、そんな話じゃない。
「を」だ。
とりあえずボクの中の真実としては
「Wo」がやはり正解として落ち着く。
なぜなら
「オリオン座」を決してボクは
「ヲリヲン座」とは読めないからだ。
100%「Wo」でないとしても
限りなく「Wo」に近い読みであることは間違いなく、
外国人に説明せよと言われたなら、
おそらくボクは
「を is Wo」と説明しちゃうだろう。
あなたならどうする!
ところでころで、
連載小説「マイドナーデイズ」が残すところ後2回となりました。
そして本日をもって、
めでたく2000アクセス突破しました。
毎週多くの方にお読みいただき、
心より感謝いたしております。
フィナーレへ向け、
どうぞ皆さまお楽しみください。
夫婦喧嘩というものは他人にとってみれば
「何だそりゃ」というくらい下らないものであっても
当の本人たちにとっては極めて深刻な問題となる。
何が下らなくて何が下らなくないか
そんなものは人それぞれの考え方一つだし
裁判などで決められる問題でも無い。
そう考えると世の中全て
ある意味「下らないこと」から始まっていると言える。
エニウェイ、
その知り合いの夫婦が何をもって喧嘩をしたかというと、
「を」
についてだ。
ここで考えてみてほしい。
あなたは「を」を何と読むか?
つまり
「Wo」と読むか「O」と読むかということ。
それ以外の読み方をする方は
とりあえず三つ目の候補となるわけだが
今のところボクの頭では考え付かない。
その夫婦のうち、
妻は「を」を「Wo」と言った。
夫は「を」を「O」と言った。
ボクは「Wo」派なのだが、
まぁ言われてみれば「O」と読むこともある。
ボクが「Wo」派なのはきっと
幼稚園だか小学生のころ
何か「五十音の歌」みたいのがあって
「わ・を・ん~」という箇所における「を」を
そのように歌ったからだろうと推測する。
おそらくその歌の作詞者は
「お」と「を」を区別するためにそうしたのだろう。
そんなわけでボクは疑うことなく「Wo」だったのだが、
その夫婦の話を聞くうちに「O」なのかもしれない
とも思った。
その妻の方はかなり友人に聞きまくって
それでも答えがでなかったらしいのだが、
ある日子供が学校において先生から
「を」の読みは「O」である
と習ったことから仕方なく「O」に落ち着いてしまった
とのことだった。
ボクは先生の意見だろうが文献だろうが、
しょせん人の作ったもの的考え方を持つへそ曲がりなので
そうそう納得はしない。
真実なんてものは
その時代に生きる誰も知らないことだってあり得るのだ。
後世になって気づく、
そんなことが多いことはあなたもご存じだろう。
だから「自分にとっての真実」がいかに価値を持つかが分かる、
って、おっとっと、そんな話じゃない。
「を」だ。
とりあえずボクの中の真実としては
「Wo」がやはり正解として落ち着く。
なぜなら
「オリオン座」を決してボクは
「ヲリヲン座」とは読めないからだ。
100%「Wo」でないとしても
限りなく「Wo」に近い読みであることは間違いなく、
外国人に説明せよと言われたなら、
おそらくボクは
「を is Wo」と説明しちゃうだろう。
あなたならどうする!
ところでころで、
連載小説「マイドナーデイズ」が残すところ後2回となりました。
そして本日をもって、
めでたく2000アクセス突破しました。
毎週多くの方にお読みいただき、
心より感謝いたしております。
フィナーレへ向け、
どうぞ皆さまお楽しみください。
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2010/06/19: 他人事
『他人事』という考えは
自分とその事柄との距離感、
それを知った際の自らの状況、
また知りえる情報量等によって生まれる。
隣県である宮崎県で、
今年4月にその確認が初めて報道され、
現在も悪夢のような現実が引き続いている
家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」問題も
ボクにとって他人事だった。
確かにその実態が知らされるに従い、
畜産家並びにご関係者の方々にとっては、
それこそ人生を揺るがすような非常事態であることは認識していた。
しかしそれはあくまで
テレビや新聞、インターネットを通じて伝えられる
“情報”であり、そこにあるリアルは極めて希薄だった。
例えばこれまでの人生の中で見聞きしてきた
他国で起こっている戦争をはじめとした数多くの災厄を伝えるニュース。
胸の内がキリリと痛んだ憶えはあるものの
ギュルリと絞め付けられるような思いはほぼ無かった。
つまりボクにとってそのどれもが『他人事』であり、
ボクの重大事は他者にとって
多分『他人事』であったことの方が多かったのだろう。
しかしそんな『他人事』のひとつであった口蹄疫問題は、
今回ある出来事に関して、
自分にとってのリアルに、
音を立てて、確実に侵入した。
傍へにじり寄っている感覚はずっとあった。
でもそれを無視し、心の何処かで楽観視していた。
「きっと何事も起きないさ」と。
また、視界に入る「日常」のエリアには切迫感は存在せず、
非常事態という状況からはかけ離れていた。
「リスク」とは可能性、
故にそれをマネジメントしてしかるべき。
もっと○○できたのかもしれない、
などという甘い考えが浮かんでは消える。
でもボクにとっての救いは、
リアルとなった状況に対して、
あくまで自分にとってではあるが、
正しい決断をしたと認識していること。
もしその決断をしていなかったら、
確実に今とは比較にならない後悔を
ボクは今後抱えていくことになったのだろう。
宮崎県の発表によると、
県内の感染確定・疑いは18日の時点で計291例、19万9,284頭。
その内処分されたのは、93.7%の18万6,810頭。
ただ殺されるのを待つだけの家畜が今、
約1万2,000頭近く、呼吸をしながら時の流れに運ばれていく。
全ての物事を自分のこととして捉えた人は
きっと壊れてしまうのだろう。
この世界の情報量は、人一人の容量を遥かに凌駕する。
それは不可能なことだ。
でも今ボクは思う。
少しだけでもいいから、
“無視”をすることなく、
自らのエリアの外で起こっていることについて
考える時間を持つことを、
考えようとする意思を持つことを
大切にしていけたらと。
自分とその事柄との距離感、
それを知った際の自らの状況、
また知りえる情報量等によって生まれる。
隣県である宮崎県で、
今年4月にその確認が初めて報道され、
現在も悪夢のような現実が引き続いている
家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」問題も
ボクにとって他人事だった。
確かにその実態が知らされるに従い、
畜産家並びにご関係者の方々にとっては、
それこそ人生を揺るがすような非常事態であることは認識していた。
しかしそれはあくまで
テレビや新聞、インターネットを通じて伝えられる
“情報”であり、そこにあるリアルは極めて希薄だった。
例えばこれまでの人生の中で見聞きしてきた
他国で起こっている戦争をはじめとした数多くの災厄を伝えるニュース。
胸の内がキリリと痛んだ憶えはあるものの
ギュルリと絞め付けられるような思いはほぼ無かった。
つまりボクにとってそのどれもが『他人事』であり、
ボクの重大事は他者にとって
多分『他人事』であったことの方が多かったのだろう。
しかしそんな『他人事』のひとつであった口蹄疫問題は、
今回ある出来事に関して、
自分にとってのリアルに、
音を立てて、確実に侵入した。
傍へにじり寄っている感覚はずっとあった。
でもそれを無視し、心の何処かで楽観視していた。
「きっと何事も起きないさ」と。
また、視界に入る「日常」のエリアには切迫感は存在せず、
非常事態という状況からはかけ離れていた。
「リスク」とは可能性、
故にそれをマネジメントしてしかるべき。
もっと○○できたのかもしれない、
などという甘い考えが浮かんでは消える。
でもボクにとっての救いは、
リアルとなった状況に対して、
あくまで自分にとってではあるが、
正しい決断をしたと認識していること。
もしその決断をしていなかったら、
確実に今とは比較にならない後悔を
ボクは今後抱えていくことになったのだろう。
宮崎県の発表によると、
県内の感染確定・疑いは18日の時点で計291例、19万9,284頭。
その内処分されたのは、93.7%の18万6,810頭。
ただ殺されるのを待つだけの家畜が今、
約1万2,000頭近く、呼吸をしながら時の流れに運ばれていく。
全ての物事を自分のこととして捉えた人は
きっと壊れてしまうのだろう。
この世界の情報量は、人一人の容量を遥かに凌駕する。
それは不可能なことだ。
でも今ボクは思う。
少しだけでもいいから、
“無視”をすることなく、
自らのエリアの外で起こっていることについて
考える時間を持つことを、
考えようとする意思を持つことを
大切にしていけたらと。
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2010/06/09: 言葉をつづる人
村木嵐(ムラキラン)さんという女性が
第17回松本清張賞を受賞した。
この女性はかの司馬遼太郎さん宅のお手伝いさん。
氏の亡き後も
妻である福田みどりさんの秘書を担っておられる。
そもそも村木さんが住み込みお手伝いさんになったのは
ただ単に司馬作品が好きすぎたから、らしい。
特段作家になる気もなかったとのことだが、
ある進路を決めようとしたとき
福田さんより「言葉をつづる道」を勧められ
そのようにして生きてきたのだという。
表現は何事もそうだけど、
「思い」だけでは決して成立しない。
この世に深い「思い」は多く存在する。
しかしそれを表現する「技術」はずっと少ない。
そして「思い」と「技術」の絶妙なバランスはもっと少ない。
さらには、そこで「マジック」が生まれる確率は
限りなくゼロに近い。
村木さんが成し得たことは
間違いなく「絶妙なバランス」を越えた所にあるのだろう。
彼女は言う、
「大事なのは綿密な調査である」と。
一見「物語」と「調査」は
それぞれ違う世界に存在する物事に思える。
ところがそれは、
実は表現にとって重視されるべきテーマだ。
ただ一行の文章のために、
ただ数秒間のメロディに乗せる言葉のために、
ただ誰も見ないような背景の奥にある場所の色使いのために、
彼らは気が遠くなるような時間を費やす。
表現に対して、誠実であるがゆえに。
その時間はえてして「無駄」と言われがちで、
そして実際そうなることも少なくない。
でも彼らは、次同じようなことが起きても
やはり長い長い時間を費やす。
きっとそうすることでしか
最高の表現は達成できないということを知っているから。
ちなみに村木嵐とは福田さんがつけたニックネームらしい。
ムラっ気があったからだとか。
そういう名前の付け方
ボクは嫌いじゃない。
第17回松本清張賞を受賞した。
この女性はかの司馬遼太郎さん宅のお手伝いさん。
氏の亡き後も
妻である福田みどりさんの秘書を担っておられる。
そもそも村木さんが住み込みお手伝いさんになったのは
ただ単に司馬作品が好きすぎたから、らしい。
特段作家になる気もなかったとのことだが、
ある進路を決めようとしたとき
福田さんより「言葉をつづる道」を勧められ
そのようにして生きてきたのだという。
表現は何事もそうだけど、
「思い」だけでは決して成立しない。
この世に深い「思い」は多く存在する。
しかしそれを表現する「技術」はずっと少ない。
そして「思い」と「技術」の絶妙なバランスはもっと少ない。
さらには、そこで「マジック」が生まれる確率は
限りなくゼロに近い。
村木さんが成し得たことは
間違いなく「絶妙なバランス」を越えた所にあるのだろう。
彼女は言う、
「大事なのは綿密な調査である」と。
一見「物語」と「調査」は
それぞれ違う世界に存在する物事に思える。
ところがそれは、
実は表現にとって重視されるべきテーマだ。
ただ一行の文章のために、
ただ数秒間のメロディに乗せる言葉のために、
ただ誰も見ないような背景の奥にある場所の色使いのために、
彼らは気が遠くなるような時間を費やす。
表現に対して、誠実であるがゆえに。
その時間はえてして「無駄」と言われがちで、
そして実際そうなることも少なくない。
でも彼らは、次同じようなことが起きても
やはり長い長い時間を費やす。
きっとそうすることでしか
最高の表現は達成できないということを知っているから。
ちなみに村木嵐とは福田さんがつけたニックネームらしい。
ムラっ気があったからだとか。
そういう名前の付け方
ボクは嫌いじゃない。
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2010/04/06: 物を売りにくる人たち
以前会社の事務所に
青森からリンゴを売りに来た
という青年がやってきた
彼が来る前に
テレビで「そういう人がいる」
というのを見ていて
僕ったら「わあ本物だ」
と思いながらニュートラルな感じで追い返した
今日
会社の事務所にやってきたのは
外国人の青年だった
浅黒い肌の色をして
目が宝石のようにキラキラした彼は
とてもスマートに「コンニチハ」と言いながら
当然のごとく事務所に入ってきた
何も言わず
静かな笑みを浮かべて彼が差し出した紙には
こう書かれていた
「ワタシは留学生です
絵を売って生活しています
よろしくお願いします
1枚 2000円」
僕は一瞬彼を見つめ、
目をつぶりながら手の平を彼に向け
頭を下げお引き取り願った
彼は残念なそぶりすら見せず
「ありがとう」
と言って立ち去った。
僕なら
とりあえず絵を一枚もらってもらって、
チップ的な形で頭を下げて
小さな箱か何かを差し出す方法を取るだろう
だって
売れないだろうに
彼の本当の目的は
いったい何なのだろうか
彼の絵は
キラキラ光っていた
現実的に
キラキラ光っていた
銀だらけ
って感じで
青森からリンゴを売りに来た
という青年がやってきた
彼が来る前に
テレビで「そういう人がいる」
というのを見ていて
僕ったら「わあ本物だ」
と思いながらニュートラルな感じで追い返した
今日
会社の事務所にやってきたのは
外国人の青年だった
浅黒い肌の色をして
目が宝石のようにキラキラした彼は
とてもスマートに「コンニチハ」と言いながら
当然のごとく事務所に入ってきた
何も言わず
静かな笑みを浮かべて彼が差し出した紙には
こう書かれていた
「ワタシは留学生です
絵を売って生活しています
よろしくお願いします
1枚 2000円」
僕は一瞬彼を見つめ、
目をつぶりながら手の平を彼に向け
頭を下げお引き取り願った
彼は残念なそぶりすら見せず
「ありがとう」
と言って立ち去った。
僕なら
とりあえず絵を一枚もらってもらって、
チップ的な形で頭を下げて
小さな箱か何かを差し出す方法を取るだろう
だって
売れないだろうに
彼の本当の目的は
いったい何なのだろうか
彼の絵は
キラキラ光っていた
現実的に
キラキラ光っていた
銀だらけ
って感じで
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2010/04/01: 今日2010年4月1日に
湖の上を歩いて
山姥とダンスして
パパイヤでラグビーして
マントヒヒとゴルフ行って
千と千尋が亀を隠して
バミったところがバミューダ海域で
いちごを食べたら頭の上に花が咲いて
スタンハンセンのウエスタンラリアットかわしてマッスルスパーク決めて
ジョンレノンにテトリスで勝って
ミッキーマウスにカンチョーして
ベジータが恋の悩みを打ち明けて
ハルクホーガンが星に願いをかけたのでした
また来年
山姥とダンスして
パパイヤでラグビーして
マントヒヒとゴルフ行って
千と千尋が亀を隠して
バミったところがバミューダ海域で
いちごを食べたら頭の上に花が咲いて
スタンハンセンのウエスタンラリアットかわしてマッスルスパーク決めて
ジョンレノンにテトリスで勝って
ミッキーマウスにカンチョーして
ベジータが恋の悩みを打ち明けて
ハルクホーガンが星に願いをかけたのでした
また来年
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